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奈良散歩 Part2 [史跡]

奈良に行こうと思ったのは、講談にも出てくるこのお寺さんに行っておかねば!と思ったからです。秋にはコスモスが境内を彩るので通称コスモス寺とも言われます。
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真言律宗・般若寺です。山号は法性山。開創は諸説ありますが、飛鳥時代の629年。高句麗の僧によって開基されたと伝わっています。平安時代には空海がこの地で般若心経1千巻を書写したとも言われていて、国宝、重文指定されているものも多数あります。
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国宝の楼門です。真言律の宗祖、叡尊上人らによる鎌倉再興伽藍廻廊西門です。
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重文の十三重石宝塔。聖武天皇御創建を伝えるが、現在の塔は観良上人が勧進し、建長5年(1253年)頃再建されました。昭和39年の大修理の際、塔内に多数の納入宝物が発見されました。その中には重文の聖武天皇が平城京の鬼門鎮護のため奉納されたという秘仏阿弥陀如来像(重文)もあります。
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正門である南大門、中大門、金堂は戦国時代に焼けました。現在の本堂は寛文7年(1667年)再建。ご本尊は八字文殊菩薩騎獅像。本堂正面に鎮座されており、向かって左に弘法大師空海上人像、右に不動明王像があります。
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戦国時代に焼けたと言いましたが、講談にこういう話が残っています。難波戦記「般若寺の焼き討ち」難波戦記の続き読みは真田幸村の一生を描いた物語です。その中で大坂夏の陣の時、徳川軍大坂攻めの際、家康は奈良から信貴生駒を抜けるルートを、一方秀忠は東海道、京都から大坂へ攻めるルートを採ります。途中家康はこの般若寺に陣を置きました。そこにはすでに幸村が仕掛けておいた地雷火が。何とか生き延び逃げた家康が飛び込んだのが1件の桶屋。隠れる場所がないので桶を削ったときに出るカンナくずを落とす床下に隠れ大久保彦左衛門に助けられる。という難波戦記らしい家康の情けない無様さを滑稽に読んだ作品です。実際は何故焼けたかは戦国の火中で燃えたとしか残っておりません。

コスモス寺といわれる通り境内一面にコスモスが。ただ今は時期外れで、季節を間違ったのか所々で咲いていました。
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この時期はやっぱり紫陽花ですね。メインではありませんが隅々で咲いていました。
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近鉄奈良駅から約2kmのウォーキング、そしてこの後東大寺へ。いい運動になりました。この日の歩数は久々の万歩超え。14300歩でした。東大寺から約1、5km離れた般若寺から見える大仏殿もその大きさに雄大さを感じます。
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梅雨入りし、雨でまた出かける機会も減ると思いますが、またブラリと出かけたいと思います。


訪問遅れてばかりで申し訳ございません。ボチボチお伺いします。 そしてNICE押し逃げ申し訳ございません。

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奈良散歩 Part1 [史跡]

自粛期間中、スマホのヘルスケアを見ると0歩の時もあったり完全な運動不足。元々太めの体重も益々増えて「こりゃいかん!」と身体の異常事態宣言発令。朝からピーカン、東大寺が拝観できるようになったので午前中だけ奈良に行って来ました。

東大寺へ行くのがメインではなく先に行ったそこはPart2に置いといて、ベタな東大寺をご紹介。でもあまり皆さんがご存知ない所から。東大寺の大仏殿から1kmぐらい北西にある「転害門」です。今は使われていない門です。
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そのまま東大寺に向かって南下。西大門は跡地だけに。
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そしてやはり東大寺と言えば南大門。左右に運慶、快慶作の仁王像が大迫力です。
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華厳宗の大本山。大仏殿は圧巻の大きさです。軒裏も圧巻の造りです。
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肝心の大仏も仁王像も他の仏像も写真がないやないか!とお怒りかも知れませんが、最近撮影OKの寺院もあると思いますが、私は建物の中に入っておられる仏様を写真に撮るのは罰当たりと思っておりますのでお許しを。ベタに鹿を一枚撮って帰路へ。
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せっかく奈良に来たんだから、興福寺や元興寺、ならまち散策などをしようと思っていたのですが、運動不足の上、この暑さとマスクで少々熱中症気味みたいなので早々に昼前に退散して来ました。

訪問遅れてばかりで申し訳ございません。ボチボチお伺いします。 そしてNICE押し逃げ申し訳ございません。

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日本三大仇討ちの話 [史跡]

上野城を出て次に向かうは今回本命の地「鍵屋の辻」です。
最近テレビでは時代劇がめっきり減った昨今、この話を知らない方も増えたと思います。
ドラマ化された一番最後が1997年の里見浩太郎主演のものが最後らしいです。
日本三大仇討ちと言われるのは、曽我物語、忠臣蔵、そして鍵屋の辻の3つです。
俗に1に富士、2に鷹の羽のぶっ違い、3に名を成す伊賀の仇討ちと言われます。
1に富士とは、富士の裾野で行なわれた曽我兄弟による父の敵討ち。
2に鷹の羽のぶっ違いとは、浅野家の家紋の事で、これは赤穂浪士の討ち入りの話。
3に名を成す伊賀の仇討ちとは、荒木又右衛門による伊賀越え仇討ちの話です。
ここで皆さん気付きませんか?1に富士、2にの羽のぶっ違い、3に名を成す伊賀の仇討ち。そうなんです、初夢で見たら縁起が良いと言われている一富士二鷹三茄子はここからきているんです。
と高座でも説明したところ、お客様皆さんからふ~んそうなんやと納得されましたが、
ちょっと待て、講釈師 見て来たように 嘘を言い という川柳があるように、全てを
信じてはいけませんよ。あくまでこういう説もあるという事です。
伊賀鉄道の上野市駅から一駅、西大手という駅の近くにあるのが、「鍵屋の辻公園」です。
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この仇討ち話の概略を申しますと、
備前岡山藩家臣渡辺源太夫の姉おみのと結婚した荒木又右衛門。この渡辺源太夫が
旗本河合又五郎に私怨により殺害されました。源太夫の兄渡辺数馬の依頼で仇討ち
の助太刀を依頼されます。河合又五郎は同じ旗本の支援を受け36人の剣豪を味方に
肥後の国旗本領まで逃げようとしたところを、又右衛門、数馬は伊賀の国で待ち伏せ
36人の剣豪ともども見事仇討ちを果たしました。この活躍が荒木又右衛門の名を
日本全国に広めたというお話です。
そんな資料がいっぱいの伊賀越資料館に入館。とても興味深く小さな資料館でしたが
2時間も居座ってしまいました。
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中は撮影NGなので写真はありませんが、唯一河合又五郎の首洗い井戸は撮影できました、
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今は鍵屋の辻公園となっていますが、元々当時は金伝寺という寺院でした。公園の中
には「数馬茶屋」なる休憩場所があります。ちょっとしたカフェでコーヒーはもちろん
甘酒やぜんざいなどもありました。(中には入っておりません)
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金伝寺は公園から少し離れたところに移転しています。
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真言宗の小さなお寺さんで、中で読経中でしたので外からはご本尊などは拝観できません
でした。
講談を旅する天神堂牛笛は今度はどこを巡るのかお楽しみに。

本日これにて読み終わりとさせていただきます。

訪問遅れてばかりで申し訳ございません。ボチボチお伺いします。 そしてNICE押し逃げ申し訳ございません。

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今回の顔ハメ

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久しぶりにもほどがある [史跡]

ご無沙汰しております。私がオカジュン、天神堂牛笛(ゴジョウ)です。
覚えておられますでしょうか?半年ぶりの更新です。前回は夏の発表会
に向けての「幽霊子育て飴」の現地取材記事でした。今回は遅れましたが、
冬の発表会の演目「荒木又右衛門三十六番斬り」のお話の取材でした。
ところは三重県伊賀上野。近鉄大阪線で伊賀神戸(いがかんべ)まで行き、
伊賀鉄道へ乗り換え。伊賀はやっぱり忍者押しです。電車のマッピングは
松本零士先生によるメーテル似のくの一です。
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駅にもいたるところに忍が潜んでおりまする。
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駅前に銀河鉄道999、鉄郎とメーテルの銅像が。
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まずは上野市駅で下車。本来の目的地ではありませんが、上野城址へ。白鳳門より入城。
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上野城は天正13年(1585年、本能寺の変の3年後)に筒井定次により築城着工。
徳川家康により慶長16年(1611)藤堂高虎が拡張工事に着手するが、豊臣家が
滅んだために築城中止。未完の城となりました。現在の天守は昭和10年の模擬天守。
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伊賀上野は忍者だけではありません。松尾芭蕉の出身地でもあります。
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松尾芭蕉が忍(隠密)だったのではないかと言われる理由はここが出身地だったからかも知れません。
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公園内に魅力的な看板発見!でも時間がないのでスルーしました。残念!!!
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忍者博物館などありましたが、外国人観光客でいっぱいだったのでスルー。
上野市駅から一駅の西大手駅に目的の鍵屋の辻が。ここからが本番なのですが、残念ながら
お時間となりました。この続きはまた次回。
本日これにて読み終わりとさせていただきます。

訪問遅れてばかりで申し訳ございません。ボチボチお伺いします。 そしてNICE押し逃げ申し訳ございません。

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♬梅雨が来る前に~もう一度~♬Part2 [史跡]

6月5日(日)前記事の東谷を出たのが正午。それから来た道を戻り、川西能勢口~十三経由で
京都河原町四条へ向かいました。四条で顔ハメ看板散策後(不発)、東山七条までゆっくり散歩。
方広寺に向かいました。方広寺は豊臣秀吉が当時焼き払われた東大寺の大仏に代わる大仏
の造立を発願し、この時の大仏は木製で東大寺の大仏より大きい19mだったと言われています。
その後大仏は秀頼が銅像へ復興を図るも火災にて大仏殿ごと烏有に帰しました。その後の再建
で金箔が張られるまで再建が進み、いよいよ開眼供養を待つのみとなった時、徳川家康が史上
最大のクレームを付けました。これが『方広寺鐘銘事件』です。
梵鐘の銘文の中にある「国家安康」「君臣豊楽」を「家康の国安し」「豊臣の君臨する天国」と勝手
な解釈をし、大坂城の明け渡し、秀頼の国替え、淀殿を人質として要求。大坂方はこれを拒んだ
ために大坂の陣へと発展していきました。
大仏殿は寛文地震で崩壊、大仏も寛政の落雷にて焼失、以降再建立されませんでした。今残って
いるのは、本堂とその問題の梵鐘だけとなっています。
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この白く写っているところが、「国家安康」「君臣豊楽」です。
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この後ブラ~っと北上。清水寺、八坂神社は何度も行ったので今回はスルー。東山三条を下った
ところにある知恩院へ向かいました。今私が習っている講談「左甚五郎のなまず」で登場する
のでお参りに行ってきました。
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山門、参道から見ても大寺院だというのが伺えます。
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この知恩院さんには「知恩院の七不思議」というものがあります。
http://www.chion-in.or.jp/04_meiho/fus.html
残念ながら現在御影堂修復工事中のため殆ど拝観することができませんでした。
講談ではこの七不思議の内、「忘れ傘」と「抜け雀」の話が甚五郎のお話としてあります。
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本堂にある七不思議の写真だけ見て知恩院を後にしました。また御影堂の修復が終わったら
再訪したいと思います。
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ここから京阪三条まで散歩。帰りは京阪電車でおけいはん。梅雨がくる前にとアクティブに
動いた日曜日でした。

本日これにて読み終わりとさせていただきます。

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P.S.  関西顔ハメ看板普及委員会FB・常任委員の顔ハメ三昧のコーナー!!

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ローマの休日


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