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お気付きの方もおられると思いますが・・・。 [講談]

皆さんは本能寺の変が何故起こったかご存知でしょうか?信長への怨恨説、光秀の天下統一野望説、豊臣秀吉陰謀説、長宗我部擁護説、等々数え上げればキリがないほどの説があります。それぞれに証文などの確証などが残っており、どれか一つの本当の理由というのは未だに明智光秀の本心はわかっておりません。私は理由は一つではなく、本当に歴史的偶然が重なり光秀の謀反に繋がったと思っています。

話は本題となりますが、私のハンドルネームが変わった事、ブログタイトルが変わった事にお気付きになった方もおられたと思います。それは私が講談塾から離れる事になったからです。その理由は本能寺の変と同様に様々な要因が重なり、塾に席を置いている事に私自身が苦痛に思えるようになったからでした。

その様々な理由は追記として書いておきますが、スルーしてください。私の人間の器の小ささから来た愚痴のようなものですから。しかし塾を辞めたからと言って講談が嫌いになり、高座に足を運ぶ事をやめた訳ではありません。また講談に別の角度から貢献しようと思い、今はコロナの影響で自粛しておりますが、出番の少ない若手だけでの講談会を主催し席亭として応援して行こうと思っています。

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毎月最終水曜日の19時~大阪のど真ん中本町にある船場センタービルの2号館B2Fにある多目的スペースで開催します。ブームが来たと言われる講談界もまだまだ客数は少なく、まだまだ大阪では講談ブームというより、神田伯山ブームと言うべきでしょう。それでもこれからの若手がブームと呼べるようにしていってもらいたいと思います。4月からスタートの予定でしたが、新型コロナの影響で次回はチラシがありませんが6月24日(水)19:00~のスタートとなりました。またよろしければ足をお運びください。

もちろん新しいハンドルネームはここからのパクリです。

https://youtu.be/mPrhuzVjstQ

訪問遅れてばかりで申し訳ございません。ボチボチお伺いします。 そしてNICE押し逃げ申し訳ございません。

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少し塾や一門から距離を置きたくなったのが最も大きな原因です。
1.他の塾生との温度差と身勝手さに嫌気が差した。
 大阪府の施設でなんばにワッハ上方という演芸資料館があります。大阪府の文化事業としてイベントを企画しておられ、塾の先生である南陵先生に相談されたところ、予算が0なので塾生の会をすればと助言されたそうです。私自身は自分が別に会をしていたので、他の塾生が誰か動くとしばらく静観しておりましたが、一向に動きがありません。先生に促され仕方なく私が大阪府職員との打ち合わせ、折衝、ルール作りなどに奔走し、4ヶ月かけやっと去年10月に月1回のペースでスタートを無事切ることができました。その後も毎月演者や演目の連絡や、チラシデザインの作成、SNSでの告知などすべて私任せ。それでも我慢していましたが、このコロナ騒動で3月公演から中止が続き、大阪府のワッハ職員もコロナ対策も兼務されるようになりました。そこに3,4,5月の演者が勝手にワッハに開催確認の連絡を入れたり、中止になった分の代わりの出演を求めたりと勝手し放題。ワッハには私が謝罪を入れ収拾したものの、9月の1年を迎えるときを以て辞任し、あとは勝手にせえ!と言う感じです。
2.一門の方々がずうずうしく鬱陶しくなった。
 私は講談師にならないかとお誘いを受けたことはありますが、今の仕事が好きで辞めるつもりも全くなく、講談師になるのではなく一塾生として講談を楽しみたかったので、こうして塾に深く関わるようになり、また私の伝手で一門の方に仕事を依頼する事もあり、一門との繋がりも深まって行きました。そんな中、勝手にチケットを押し付けられたり、仕事で行けなかった会があるたびにどうして来なかったのかと聞かれたり、酒の席に無理やり付き合わされたりと、これ以上深く関わりたくなく距離をおきたいと思った次第です。
3.玉田家との確執。
 一門に旭堂南陽という人がいました。その人が真打昇進とともに、玉田玉秀斎を襲名。当初は仲良くさせていただいておりましたが、その玉秀斎の紹介で塾に入りたいという者がいて、私に先生の所へ連れて行って欲しいと頼まれました。私は快く連れて行き塾生となりましたが、半年もせずに無断で姿を見せなくなりました。そしてこいつが他の一門に仮入門したという噂が入ってきました。そしてこともあろうに初高座で南陵先生に稽古をつけていただいた演目をするという御法度破り。私が塾に連れて行った手前、玉秀斎に相談したところ、「先生の耳に入ると機嫌が悪くなるから黙っておいて」との事。それだけでも心を痛めておりましたが、何せ狭い世界、すぐに先生の耳に入り私は立場のない心苦しさが残りました。そして玉田家との決定的な決別は、去年3月に玉秀斎の元へ玉山というのが弟子入りしました。こいつが高座で「明智左馬助湖水渡り」というのを読みました。その時これは自分が馬場光陽先生の音源から起こしたとほざいたのです。この演目は元々一門では読まれていない江戸講談の演目でした。しかし塾で私が読みたいと先生に希望したところ、原稿もないので私が馬場先生の音源を探し苦労を重ねて書き起こしたものです。それをのうのうとほざく玉山を許す事ができません。これが玉田家との確執です。

数々の理由が重なり塾を辞めようと思った次第です。これからは好きな講談師だけの講談を聞き、また自作で講談を作って会を開くなどしていきたいと思っています。
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middrinn

色々あったんですね(´ヘ`;) 若手を支援されてて、頭が下がりますm(__)m
篠田達明『モナ・リザは高脂血症だった~肖像画29枚のカルテ』(新潮新書,
2003)には、光秀はド近眼だったために信長の不興を買ったとの説が(^_^;)
by middrinn (2020-05-29 08:01) 

きよたん

私の高校の同級生は講釈師の神田香織です。
彼女の人生 波乱万丈ですが講談のおかげで
とっても元気に生き生きと活躍しています。
頑張って下さいね
by きよたん (2020-05-29 08:20) 

kinkin

なるほど、色々と山あり谷ありだったんですね・・・・
やはり楽しむレベル、程々が良いのでしょうね。
by kinkin (2020-05-29 08:53) 

yukimin1119

いろいろと・・・あってのことでしようね。(;^ω^)
講談好きに変わりがないのなら・・・それはそれでいいのでは♪
by yukimin1119 (2020-05-29 14:18) 

sakamono

いろいろあったようですが...おつかれさまでした。
そんなコトとは関係なく、やっぱり好きなコトは続ける
べきではないか、と思います。
by sakamono (2020-05-29 22:11) 

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